TOP > ミリオンライブ! > 七尾百合子「恋に恋して、大騒ぎ」【ミリマスSS】

七尾百合子「恋に恋して、大騒ぎ」【ミリマスSS】

1: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:37:48.59 ID:WHh6WAPF0

ミリマスSSです。
一応、地の文形式。


2: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:40:19.85 ID:WHh6WAPF0

 ありふれた終わり方とは、どういうものだろう。

 物語ではハッピーエンドがそれに当てはまるかもしれない。だから、ある作家が「幸せな結末で終わる偉大な話はない」と言ったのだろう。
 
 しかし、なかなか不思議なものだ。現実世界において、ハッピーエンドで終わる出来事は少ない。とりわけ恋愛ではなおさらだ。青春時代に好きになった人と、そのまま死ぬまで永遠に結ばれるなんて話は滅多にないし、そもそも、好きになった人と一瞬でも恋人同士になることすら叶わない場合が大半だ。
 
 となると、私たちが生きる世界での、ありふれた終わり方というのは、何も成就しない悲しい結末とみなすべきなのかもしれない。

 それ故に、たとえありふれた終わり方だとしても、幸せな結末を迎える物語を私たちは求めるのだろう。


3: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:43:53.70 ID:WHh6WAPF0

 教会で神父の前で永遠の愛を誓うと、パイプオルガンと女性らの讃美歌が荘厳に響いた。
 
 二人の門出を神様は祝福し、契りに立ち会う友人や家族も祝福する。ときに笑顔で、ときに涙で。もしかしたら、その涙は「私が好きだった彼をあの女に取られた!」などという後の祭りのような血涙かもしれない。とはいえ、結婚式では喜びに満ち溢れている。特に今その瞬間に夫婦になった当事者二人にとって、その喜びはひとしおだろう。

 白いタキシードを不格好に身に付けた男性は照れ臭そうに笑っている。一方、純白のウェディング・ドレスに包まれた私の友人は喜びを噛み締めるように微笑んでいた。

 教会の椅子に座っていた私と友人たちは、彼女のこれからの幸せを心の底から祝福した。しかし、同時に、壇上で幸福を振りまいている二人を羨ましく思った半分、齢二十五にして身を固める気配もない自分自身を情けなく思った。


4: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:44:41.60 ID:WHh6WAPF0

 女子は男子の家に入りて、というような風習は取り払われつつあるようなこのご時世だが、婚姻という男女の契りをして幸せオーラ全開である二人の姿を見せつけられると、好きな男性と結ばれるというものは、やはりいいものだと改めて考えさせられる。一度は夢見た、白馬の王子様とのロマンスを妄想、もとい、想像する。でも、考えさせられるだけだ。相手がいないのだから。運命の人には出会っていないから。本当に好きだと思える人に、いまだ出会えていないから。
 
 でも、運命だと思った人はいた。
 
 ありふれた終わり方で結末を迎えてしまうなら、私なりに書き換えてみようと試みたこともあった。

 七尾百合子、二十五歳。職業、アイドル。今はちょっとした執筆業もしている。彼氏イナイ歴は年齢に等しい。結婚願望は無し。嘘。アリです。特に今は千倍増しにありますとも。 

 ああ、私も運命の人と結婚したいなぁ......。したいなぁー!!


5: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:45:23.31 ID:WHh6WAPF0

 結婚式後の二次会も終わると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。人もまばらな通りの中を、私たち三人はパンプスの細い靴音を鳴らしながら闊歩していた。

「あぁ。ミクちゃんのドレス姿、キレイだったなー」
 
 思わず私から野太い声が出た。中学校からの友人のウェディング・ドレス姿を思い出すと、彼女を心の底から綺麗だと思ったと同時に、羨望の気持ちも混じったからだ。昼から飲み続けた酒が喉を焼いたことも、原因かもしれない。

「ちょっと百合子ったら、やめてよ。おじさんみたいな声だったよ?」

「でも、本当に綺麗だったよね。エリもそう思ったでしょう?」

 私の野太い声に笑っていたイブキちゃんが、エリちゃんに問いかけた。

「まあ、それは本当にそう思ったけど。でも、あのミクがねぇ」


6: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:46:07.07 ID:WHh6WAPF0

 私たち四人は、中学と高校が同じで、ずっと仲良しのグループだった。みんな図書委員だった私たちは読書が好きで、偶然にも同じシリーズの本が好きだということで、すぐに意気投合した。クラスはバラバラだったが、昼休みには一緒になって固まって弁当を食べたり、本のことを話したりしたものだった。

 それから私がアイドルになると、それまでは私のことなんか微塵にも興味のなかった人たちが、さも昔からの友人であるかのように振る舞ってきた。陰で妬んだりする人もいた。そうした人の感情の醜さに、私が傷つき悩んでいると、三人は親身に相談に乗り、ずっとそばにいてくれた。私のアイドルとしての仕事が多忙となり、時折しか学校に顔を出せなくなった時にも、彼女たちは変わらず私を迎え入れ、私と他愛のない話をして過ごした。

 そんな彼女たちに、私はどれほど救われたことか。私は感謝してもしきれないし、心の友を持つことができて本当に良かったと心底思った。そして、別々の大学に行こうと、様々な社会の道に進もうと、私たち四人はずっと四人なのだと思っていた。

 ミクちゃんの結婚は、その矢先の出来事であった。


7: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:46:36.98 ID:WHh6WAPF0

「しっかしイケメンだったねぇ、あの旦那さん」エリちゃんがため息を交らせて言った。「しかも射止めた相手が外資系企業のホープときた」

「そんな人と、どこで出会ったの?」

 イブキちゃんが尋ねた。

「ほら、言ってたじゃん。「共通の知人の紹介」って」

「あー、そうだったね」

「それでも合コンとはいえ、そんな彼を射止めちゃったのはスゴいよねぇ」

「いいなぁ。ホント、私もそんな出会いがあったらなぁ……」私は大きくため息をついた。

「ゆりゆりも、すぐいい相手が見つかるよ」

「そうそう」

「二人に言われたって、何の慰めにもならないよ!」

 この二人も、すでに彼氏がいて良好な関係が続いている。イブキちゃんに至っては、両方の親の公認も受けていて、もう結婚も秒読みだ。

「えへへ……、ごめんね?」

「うわぁん! みんながドンドン遠くに行っちゃうー!」

 まさにその通りだ。私だけが大人になれないで、そのまま時が止まったかのように、足が止まったかのように、取り残されているようだ。焦りはあるかと問われたら、むしろ焦りしかない。


8: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:47:31.85 ID:WHh6WAPF0

「あー、私も結婚したいー!!」

 私の悲鳴にも近い叫びが通りに虚しく響いた。

「でもさ百合子、良い人いないの? 芸能人なんだし、私たちよりはよっぽどイイ男がいるでしょう?」

「そうよ。ゆりゆりは綺麗なんだしさ」

「いませんよーだ。いたら、こんな愚痴言わないよ」

 実際、言い寄ってくる男性の芸人とかアイドルもいた。でも、ほとんどがタイプではなかった。そろそろ選り好みするような立場ではないのだろうけど、一度も男性と付き合ったりしたことがないと、結婚ということも考えてしまうし、そうなると交際のハードルがなおさら高くなる。要するに、妥協したくない、ということだ。しかし、そんな綺麗事を吐いてばかりだと結婚はますます遠のくし、いわゆる喪女――もう既に片足を突っ込んでいるような気もするが――への道まっしぐらのような気がして、日に日に焦りは募るばかりだ。


9: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:49:06.45 ID:WHh6WAPF0

 そもそも、あまり他人を恋愛感情として気にすることがなかった。でもそれは、男性に興味がなかった、ということではない。むしろ興味津々だった。興味関心しかなかった。世界を救うヒーローや、謎めいた雰囲気を漂わせる男、ちょっとドジだけど好きな女の子を全力で愛する青年など、私は本の中で色んな男性に出会った。本の中には男女が事を行う描写もあったから、愛し合う男女は何をするかも知っていたし、想像しては悶々とすることもあった。

 しかし、邪なことは抜きにしても、本を通じて私には理想の恋愛ともいえるものが蓄積されたおかげで、理想の男性像に対する要求が高くなったのかもしれない。求めてしまうのはいわゆる運命の白馬の王子様だけれども、残念ながらそんな王子様には、本当に好きだと思える人には、いまだお目に掛かれていない。
 

 いや、ただ一人いた。この人こそ私の運命の人だと思った人が。


10: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:50:27.54 ID:WHh6WAPF0

「あっ、そうだ! プロデューサー! 百合子、あなた昔、プロデューサーのこと......」

「ち、ちょっとエリ! その話題は!」

「......あっ」

 エリはあからさまに「しまった」という顔をした。

「大丈夫、気にしないよ」私は二人にニコニコ顔を向けた。「でも、何だかまだまだ飲みたくなってきちゃったな」

 この近くによく知ってるバーがあると二人に提案した。

「ゆ、ゆりゆり、あなた二次会でも結構飲んでたでしょ?」

「ほろ苦い初恋思い出して、百合子さんは傷心しちゃった」

 私が唇とツンと尖らせると、二人は苦笑した。

「ほらぁ、やっぱり気にしてるじゃん! 何かユラァってしてる! ユラァって!」

 私は真っ黒な笑みをたたえて応えた。いわゆる暗黒微笑だ。この歳になって暗黒微笑とか、考えるだけでも痛々しいのかもしれないが、半ばやけっぱちの私はそうした羞恥心をどこかへ打ち遣った。

「わ、私、明日は彼氏とデートだから、早く帰りたいなーって」

「じゃあなおさら連れていかなきゃ!」

「もう、ゆりゆりの鬼!」


11: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:51:17.68 ID:WHh6WAPF0

 渋る二人の手を取ると、二人は観念したように私について来た。二人に悪いなと思う気持ちはあったけど、この後一人で寂しく過ごせるほど私の心は強くない。多少強い酒をもって、心に沸き立つ濁りを洗い流したかった。

 そうだ、ただ一人の男性とは、私をアイドルの世界に導いてくれたプロデューサーさんだ。彼は一番私の思っていることや、理想を怖いくらいに分かってくれた。私は勝手に運命の男性だと思い込み、彼に対して想いを寄せ、そして、その恋は破れた。

 ああ、あの失恋の日を次第に思い出す。そうだ。十年近く前の出来事だ。ぼんやりとしていた記憶が、だんだんと輪郭を帯びてきた。渚に吹く風の涼しさや、枕を濡らした昼間の暗さを、一陣の風が過去のページをめくるように、記憶からはっと呼び覚まされる。
恋に恋していたあの日々だ。

 そして、恋に恋したその先に何があるのか、私は知ってしまった。


 きっかけは、アイドルになってから半年が経とうとしている頃だった。


12: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:53:33.79 ID:WHh6WAPF0

**********


 最初に出会ったときは、ちょっと歳の離れたお兄さんかな、という印象だった。


 プロデューサーというのはどのような人なのだろうか。あのトップアイドル集う765プロダクションだから、プロデューサーも戦場帰りの元傭兵のようなコワモテの男性なのではないかと、人見知りな十五歳の私は不安に思っていた。しかし、現れたのは優しそうな男性でホッとしたことを覚えている。とはいえ、最初に受けた印象はそれだけで、よく恋愛小説で見かけるような雷を受けたような衝撃であったり、一目で運命を悟る、なんてことは全くなかった。


13: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:54:38.43 ID:WHh6WAPF0

 歌もダンスもからっきしダメな私だったが、彼は私の苦手を克服できるよう、親身に支えてくれた。特に私はダンスが苦手で、基本のステップを会得するだけでも一苦労だった。

「プロデューサーさん、下手でも絶対に笑わないでくださいね?」とダンスレッスンのとき、彼に言ったことがある。

「笑わないさ。だって、百合子は一生懸命にやってるんだろ? そんな努力を笑うことなんてできないよ」

 彼はそう言って微笑んだ。

 私の努力を見てくれてるのだと思うと、大きな心の支えになったし、何よりも嬉しかった。それからも、彼は辛抱強く私のレッスンに付き合った。私が居残りでレッスンをするときには、彼は嬉々として付き合い、一緒にステップの確認をした。次第に私のダンスが上達すると、彼は私のことのように喜んでくれた。私も、彼の期待に応えられるよう、ますますレッスンにのめり込んだ。


14: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:55:42.79 ID:WHh6WAPF0

 面白い人だと思った。他人のために時間を割き、とことん意向を汲んで、その人のために動こうとする。根から優しい人なのだろう。だから、彼は心の底から褒めてくれるような気がしたし、そんな彼に褒められるのが私はとても嬉しかった。

 思えば、このときから感情の変化があったのかもしれない。私の彼に対する気持ちが明確になるには、そう時間がかからなかった。いつから異性として好きになったのだろうか。

 好きだと自覚したのは、何かにつけてプロデューサーさんと結びつけて物事を考えていると気付いたときであった。面白い本を読んだり、楽しい出来事に遭遇すれば、真っ先に彼へ伝えたいと思い始めていたし、家で過ごしていると、今彼は何をしているのだろうと気がかりになった。

 極めつけは、友人三人と話していると、「百合子って最近、アイドルの話になるといつもプロデューサーさんを話題にするよね?」と意地悪な笑みを浮かべながら指摘されたときだ。私は直ぐに否定したけれど、私のあまりの焦りように、彼女たちは私の真意にますます勘付いたようだった。


15: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:57:07.28 ID:WHh6WAPF0

 それだけではなかった。彼のプロデューサーとしての手腕は、私を立派なアイドルへと変身させた。

 シアターでの公演で初めてセンターに選ばれ、私が不安とプレッシャーで押し潰されそうになったときも、救ってくれたのは彼だった。彼はまるで魔法使いのようであった。「百合子が願えば、ステージ上で主人公になれるんだ」という言葉は私の大きな支えになったし、今でもよく覚えている。センターというものにとてつもなく抽象的な重責を抱えていた私に、大きな自信を与えてくれたのであった。お陰さまで、初のセンター公演も成功に終わり、少しずつ、アイドルとしての私に自信が付くようになった。

 本の世界しか知らなかった私が、主人公として現実の世界に飛び出した瞬間だ。

 変わろうとする私の背中を支え、押してくれたのが彼であり、そんな彼を私はますます好きになってしまった。


16: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:58:36.16 ID:WHh6WAPF0

 プロデューサーさんのことが好きだと気付いてからは、私の好きだという気持ちは風船のようにますます膨らんだ。何かにつけて彼と一緒の時間を過ごしたり、行動したいと思った。

 アイドルとしての活動が軌道に乗り始め、仕事や営業も増えたことで、彼と一緒に仕事場に行ったり、一緒に帰ったりする機会も増えた。仕事をちゃんとこなせば彼は褒めてくれたし、行き道や帰り道では他愛のない会話をして過ごすのが嬉しくてたまらなかった。

 私は彼のことをもっと知りたかったし、彼に私のことをもっと知ってほしかった。家に帰ると彼との会話を思い出しては反芻し、レッスンが上手くいって私を褒めてくれたりしたときには、自室のベッドで足をバタつかせて悶えることもしばしばあった。


 会話では、本についての話題が多かった。私の好きなものだ。そんな私の好きを、私の好きな人と共有できる喜びよ! ああ、どんなに幸せなときであったであろうか。


17: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 11:59:49.23 ID:WHh6WAPF0

「百合子。この前貸してくれた本、読んだよ。面白かった」

「わあ、本当ですか?」

 私がプロデューサーさんにしばしば本を貸すからというのも、本の話題が真っ先に会話の種となった理由の一つだ。彼に本を貸すことになったのは、私が本についての話を熱弁するうちに、彼が「読んでみたくなったから、貸してくれないかな」とお願いしてきたのがきっかけだ。

「うん。そうだな......。特に、運転手さんの正体が分かる話が面白かったよ。思わず唸っちゃってさ」

「そうなんです! 私もあのお話が大好きなんです! 普段は表情を変えることないあの運転手さんが途中から落ち着きを失い始めて、主人公が事件を解決すると運転手さんの様子がおかしくなった理由も、彼女の秘密も明らかになって! 才色兼備なスーパーウーマンだった運転手さんが、これまで一体どんな苦悩を抱えて生きてきたのだろう、って想像するともう......!」

「おーい、早く戻ってこいよー」

「あっ。す、すみません、つい......」

 思わず、昭和初期へ意識をタイムトリップするところであった。彼は大げさに私の目の前で手を振って、私を現実に連れ戻す。

「でも確かに、あの世界観は行ってみたいと思ってしまうよな。最終回の後を想像すると暗くなってしまうけど」


18: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:00:45.34 ID:WHh6WAPF0

 本の世界に没入する私の悪い癖も、彼は認めてくれた。本を読んでいると、私は周りが一切見えなくなる。何度も話しかけられない限り、本の世界の旅から戻ることはなかった。

 おまけに、「図書館の暴走特急」の二つ名を与えられていた私には妄想癖も――今も根強く残るが――あった。想像の翼と言えば聞こえは良いが、その翼を広げ過ぎてあらぬ方へ飛び去り、そのまま妄想の世界から戻ってこないこともしばしばだった。この妄想癖は、友人ら四人で同人誌を作成したときに大いに役立ったのだが、この話はまた別の機会ということにしよう。

 それだけではなかった。色々と周りに迷惑をかけているのだろうと思っていた私の妄想癖も、彼は「百合子の強みだ」と言ってくれた。そんな風に言ってくれたのは彼が初めてだったし、私が短所だと見做していたことを長所だと考える観点には驚かされた。

 新しい自分を彼が見つけてくれたようで、嬉しい半分、何だかこそばゆい心地もした。


19: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:03:28.19 ID:WHh6WAPF0

「そうだ」プロデューサーさんがデスク脇に置いていたカバンを持って来た。「あった、あった。はい、今回はこれを持って来たよ」

「わあ、ありがとうございます!」

 彼は、私が貸した本とともに、一冊の本を私に手渡した。

 本を貸すうちに、私は彼がお薦めする本を読みたくなった。彼もよく本を読むようで、私の要望に快く応じてくれた。私と彼が読む本はジャンルが違った。私はいわゆる冒険やファンタジーものであったり、推理小説やホラーを中心に読んでいたが、彼は歴史小説やノンフィクション小説を好んで読んだ。

「以前、プロデューサーさんが貸してくれた本も面白かったです」フランスに渡った日本人の美術商と、今や誰もが知るあの画家とその弟の交流を焦点に当てた物語だ。「彼らの交流がとても美しくて、でも儚い結末を迎えることになって。最後は泣いてしまいました」

「気に入ってくれて何よりだよ。今回も同じ作者の本にしてみたんだ。サスペンスものだから、百合子が好きかもしれないぞ?」

「わあ、楽しみです!」

 私は表紙に描かれた、ピカソのモノクロの大作を眺めた。まじまじと見つめていると、彼はくすりと笑った。


20: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:04:33.00 ID:WHh6WAPF0

「百合子は楽しいときには、本当に楽しいって顔をするよね」

「そ、そうですか? でも、楽しいって気持ちはちゃんと出さないと、心の底から楽しめないと思うんです」

 プロデューサーさんはなるほど、と得心が行ったように笑った。

「なんだか、百合子らしいや。でも、そうやって幸せそうな表情観てると、こっちも嬉しくなってくるよ」

「あ、ありがとうございます。えへへ......」

 私は熱くなった頬を掻いた。


21: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:05:25.96 ID:WHh6WAPF0

 彼が貸してくれる本は、趣向が違うからというのもあって、普段の私ではあまり手にすることのない本が大半だった。しかし、どれも私の興味を引き出す絶妙な本だった。

 今になってよく分かることだが、他人に自分自身の好きな本を進めるというのは非常に難儀なことだ。その本のことをいくら私が好きだとしても、他人の心の琴線に触れるとは限らないし、押し付けになってしまうこともあり得る。しかし、彼から借りた本は、一度読み始めると読み終えるまで没頭してしまうような、どれも私の想像の翼を広げてくれるようなものばかりだった。

 そんな難儀なこととは当時の私は一切気付かず、私とプロデューサーさんとの間で、本の貸し借りがしばしば行われた。私は彼と交換日記をしているような心地がして、次はどんな本を彼に貸そうか、彼は私にどんな世界を見せてくれるのか、楽しみで仕方がなかった。何よりも、彼の知っている世界を私も触れることができることに、私の心はいっぱいに満たされた。

 一方で、事務所で本を読んでいないときには彼の一挙手一投足が気になり、ついつい彼の方に目を向けていた。彼が私の視線に気付き、私の方に顔を向けようとすれば、私はすぐさまに視線を逸らしてさも何事もなかったかのように振る舞った。思えば彼にはバレバレだったのだろうが、当時の私は完璧に誤魔化し通せていると確信していたものだった。


22: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:06:00.83 ID:WHh6WAPF0

 彼への私の恋心は、傍から見れば分かりやすかったようである。感情が顔に出やすいから、仕方なかったのかもしれない。

 ある日、レッスンを終えて事務所に戻ると、プロデューサーさんが杏奈ちゃんと話していた。

 ゲームと本という点では異なるが、いかにもインドア派なである雰囲気に、私は出会った当初から杏奈ちゃんに対して親近感を抱いていた。さらに、同じオンラインゲームが好きだということが分かり、それからすぐに仲良くなった。事務所で会ったときは大抵おしゃべりするし、家に帰って時間があるときにはゲームの中でも再会する。

 杏奈ちゃんとプロデューサーさんの会話は盛り上がっていて、私が戻ってきたのも気付いていないようであった。普段であれば、私も会話に参加するものだが、二人の間には何だか近寄りがたい、親密な雰囲気があるように思えた。談笑する二人の姿をみるうちに、私の心は次第にささくれるような感じを覚えた。


23: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:07:24.85 ID:WHh6WAPF0

「お、百合子。戻ってたのか」

 彼から声を掛けられ、ようやく私はグルグルと渦巻く感情の中から意識を戻した。

「百合子さん...お帰り、なさい...」

 私は笑顔を取り繕い、そして応えた。

 それからすぐにプロデューサーさんは用事があるから、と出掛けて行った。二人で彼を見送り、それから杏奈ちゃんの方へ振り返ると、彼女は私の方をじっと見ていた。

「杏奈ちゃん、どうしたの?」

「百合子さん、ちょっと......顔が、怖い......」

 杏奈ちゃんから心を見透かされているようで、ドキリとした。

「へっ? そ、そうかな? あっ、もしかしたら、今日は表現のレッスンでしかめ面もしたから表情筋がまだ強張ってるのかも」

 私が苦し紛れの言い訳をすると、杏奈ちゃんは私をじっと見つめた。彼女の柔らかく垂れた目から放たれる視線は針のように鋭く、私はうろたえた。


24: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:08:03.32 ID:WHh6WAPF0

 しばらく見据えていた彼女の目は、途端、不敵な笑みを浮かべた。

「大丈夫......。杏奈は、プロデューサーさんのこと......、百合子さんから取らないよ......?」

「取るって?」

「だって、百合子さん......、プロデューサーさんのこと、好きなんでしょ......?」

 杏奈ちゃんの一言に、私は変な声を上げそうになった。

「べ、別に好きなわけじゃ......」私の返しはしどろもどろだ。誤魔化そうとするあまり、なぜかツンデレになった。

「...じゃあ、杏奈が好きになっても、いいの...?」

 杏奈ちゃんはクスクスと笑った。普段の優しいうさぎさんから到底かけ離れた、今までにない蠱惑的な表情を彼女は見せていた。

 でも、それ以上に、杏奈ちゃんもプロデューサーさんのことが好きなのかもしれない、ということに衝撃を覚えた。表だって感情を見せない彼女が、彼への慕情を心に秘めているのだとすれば? 彼女が、事務所の中で一番の友人であったとすれば?


25: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:08:53.73 ID:WHh6WAPF0

「だ、だめっ!」

 咄嗟に声が出た。いくら杏奈ちゃんといえども、彼と結ばれる姿は想像したくない。いくら杏奈ちゃんといえども、私の恋路を阻もうとするなら......!

 私は睨むように彼女を見据えた。

「ゆ、百合子さん......。冗談、だよ...?」

 杏奈ちゃんはおろおろと困惑した表情を浮かべていた。

「えっ?」

「......ごめんなさい。ちょっと、からかってみたくなった...、だけ」

 杏奈ちゃんの表情はいつもの柔らかなものへ元通りになった。

「もう、そんな冗談はやめてよ。杏奈ちゃん」

 私は心の底から安堵したが、同時に、親友ともいえる彼女に対し、敵意とも、嫉妬ともいえるような真っ黒な感情を一瞬でも抱いてしまった自分自身に嫌悪した。

 杏奈ちゃんが突然笑い出した。一体どうしたのかと私は訊いた。

「でも、百合子さん......、本当にプロデューサーさんのこと...、好きなんだね......」

「そ、そんなこと! ......はい、あります」

 さっきのやり取りをした後に否定するのは流石に無理がある。私は観念して杏奈ちゃんに認めた。


26: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:10:27.10 ID:WHh6WAPF0

 杏奈ちゃんに、私の恋心にどうして気付いたのか尋ねた。

「どうして、って............。百合子さん、顔に出過ぎ...」

「......ホントに?」

「...うん......。本当は、結構前から、気付いてたけど......」

 私は近くの壁に体を傾けた。ゴンと低い音が鳴ったと同時に、頭に鈍い痛みが広がった。頭から湯気が出てきそうなほど、恥ずかしい。

「杏奈も、応援、するよ......?」彼女は胸元に両手で拳を作った。

 それ以降、杏奈ちゃんは私の恋のよき相談相手となった。何かアドバイスを出すというよりも、私とプロデューサーさんの間にあった出来事に対して私が抱いた喜びや悲しみを、彼女は共感してくれた。

 彼女は私の恋路に興味津々のようで、嬉々として私とプロデューサーさんの模様をしばしば尋ねてきた。


27: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:11:41.94 ID:WHh6WAPF0

 私の恋心は、小さな一つの雫が水面に波紋を広げるように、日を追う毎に大きくなった。事務所に行ってプロデューサーさんに会うとなれば、普段よりもおめかししてから赴いた。ファッション誌もよくチェックするようになった。そして彼は、私の身なりのちょっとした変化にもすぐ気付いてくれた。

 一方で、アイドルとしての仕事がない日や、彼が多忙で事務所を空けて全く会えない日があると、私の気持ちは沈んだ。そんな日が二日三日と続けば尚更だった。彼に会えば会うほど、そして会わなければ会わないほど、好きだという気持ちが私の心のなかで膨らむ。

 まさに恋のとりこであった。

 しかし、その膨らんだ気持ちを膨らんだまま放置しておけるほど、私の想いは大人しいものではなかった。一途な気持ちを抑えられないでいる私は、何か行動を起こして、彼との関係を進展させたいと思うようになった。


 きっかけは私のソロライブだった。私がアイドルになってから、ちょうど二年が経とうとしていた。


28: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:12:18.44 ID:WHh6WAPF0

 私はアイドルとしても順風満帆だった。ステージに出たり、ユニットとしてフェスに参加した。ソロのCDも出して、個人としての仕事もたくさんこなすうちに私の世間での知名度も高くなった。順調なアイドル活動も、私だけの力ではもちろんなかった。プロデューサーさんの後押しがなければ、私はここまでのアイドルにはなれなかっただろう。彼がソロライブの開催を提案したのは、その矢先であった。

「どうだ百合子。ソロライブ、やってみるか?」

「はいっ。是非引き受けさせてください!」

 私は二つ返事で彼の提案を受け入れた。

 アイドルになった当初よりもダンスはうんと出来るようになったし、ステージに出ても緊張することなく、むしろ楽しいと思えるほどに、私は自信を持つことができるようになっていた。しかし、ソロライブとなると話が変わる。一曲だけのセンターでの公演や、ユニットの一員としてライブをすることとは異なり、公演の最初から最後まで私がメインのステージとなる。確かに怖い気持ちもある。しかし、彼と一緒にこの挑戦に臨めば、きっと上手くいくと確信していた。


29: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:13:49.13 ID:WHh6WAPF0

 彼は満足げに頷いた。そして、こう付け加えた。

「そうだ。百合子にとってこれまでで一番の大仕事になるだろうから、このソロライブが終わったら何かご褒美をあげるよ」

「本当ですか?」何とも時めいてしまう甘美な言葉だ。

「ああ、何でもいいぞ」

 でも、稀覯本とかそういうのは高いからやめてくれよ、と彼は笑った。

 何にしようか。しばらく考えていると、私の頭に一つのご褒美が浮かんだ。

「あのっ」私は意を決して尋ねた。「ライブ後のお休みの日に、一緒にお出掛けしてくれませんか?」

「俺と?」

「はい」


30: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:15:15.06 ID:WHh6WAPF0

 私が所望したご褒美に、彼は沈黙した。どうなのだろうか。やはり、こんな馬鹿げたお願いはすべきでなかっただろうか。後悔の念が浮かび始めたとき、

「うん、分かった。いいよ」

「本当ですか!」

 プロデューサーさんは、バッグから取り出したスケジュール帳をパラパラとめくった。

「ああ。ソロライブの一週間後に俺も一日休めるから、そのときにでも行こうか」

「はいっ! わあ、とっても楽しみです……!」

 お願いを受け入れられ、私が悦に入っていると、彼は苦笑しながら私のおでこを軽く小突いた。

「でも、まずはライブを成功させることが大事だからな?」

「分かってますよ、もう」


31: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:17:05.86 ID:WHh6WAPF0

 私は有頂天になった。彼とデートをする約束を取り付けることができたのだ。私たちの関係に大きな変化が起こるのかもしれない。だって、私のデートのお誘いを彼は受け入れてくれたのだから、もしかしたら彼も私のことを……? そう考えると、私は飛び上がってしまいそうになった。

 しかし、彼から釘を刺されたように、まずはソロライブを成功させなければならない。私にと提案してくれた大仕事でもあるから、是非とも彼の期待に応えたい。私が最高のパフォーマンスを見せたら、彼もきっと褒めてくれるはずだ。ソロライブに向けたレッスンや準備に対するモチベーションも、一層高まった。

 ソロライブの結果は、大成功だった。


32: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:18:14.81 ID:WHh6WAPF0

・・・・・・・・・・

「プロデューサーさんって、いつ本を読んでるんですか?」

 私はランチに付いているサラダをフォークでつつきながら、彼に尋ねた。

「そうだな、通勤で使う電車のなかと、家に帰って時間があるときくらいかな。最近は忙しいから、あんまり読む時間は確保できないけど」

 それでも月に二冊は読もうと心掛けてるよ、と彼は笑った。

 しばらく他愛もない話をしていると、メインのパスタが運ばれてきた。

「ここのパスタが美味しいんだよ」と彼に連れられてやって来たお店は、落ち着きのある少し大人びた雰囲気のお店で、私は何だか背伸びをしているような心地になった。

 ライブが成功裡に終わって一週間後、かねての約束通り、私たちはオフの日に二人でお出掛けすることになった。ソロライブが近くなるとライブのことで精一杯だったが、ライブが終わるやいなや、私の頭は彼とのデートのことで頭のなかが埋め尽くされた。

 お出掛け当日はどこに行って過ごすのか、彼と相談しあった。デートコースの案や当日来ていく服は、杏奈ちゃんとも相談した。しかし、お出掛けしている間はどのようにして彼と一緒に過ごせばよいのか、本の世界にも相談したが、太宰もブラッドベリも教えてくれない。

 高校の友人にも相談すると、相談そっちのけで彼女たちは盛り上がり、当日私たちも後ろを付いて行ってもいいかと訊かれたので、私は全力でお断りした。

 両親からは一度事情を話してからは、それ以降何も聞かれなかったが、デートの日が近づくにつれてお母さんはニヤニヤし、一方お父さんはずっとむっつりした表情になった。それが尚更、私の顔を赤くさせた。


33: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:20:22.49 ID:WHh6WAPF0

 前日は喜びと興奮と不安やらが混じりほとんど眠ることもできなかったが、待ち合わせの駅で彼の姿を見かけたときには、眠気も不安もすべて吹き飛んでしまった。プロデューサーさんはジーンズに黒い無地の全く味気ない出で立ちでやって来たが、普段スーツ姿の彼しか見たことない私は、それだけで新鮮に思えた。

 対して私は、「念のため、一応変装しておこう」という彼の忠告を受けて、麦わら帽と伊達眼鏡を身に付け、いつもの髪の編み込みをしなかった。それから、買ったはいいがこれまで着る機会のなかった、一張羅である薄緑のワンピースを着込んだ。精一杯のお洒落で臨んだ私を見ると、プロデューサーさんは少し目を丸くしていた。

「馬子にも衣装、なんて言いませんよね?」私は不安な気持ちを誤魔化すと、

「本当によく似合ってるよ。とってもかわいい」

 彼がそう褒めてくれるから、会って早々、私の顔は真っ赤になった。


34: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:21:37.27 ID:WHh6WAPF0

 待ち合わせをしてから、私たちはまず、とある文庫が運営しているミュージアムへ行った。本に関わりのある博物館に行きたいという私の要望を受け、彼が見つけてくれた場所だ。このミュージアムを後にし、私たちはランチにやって来た。

「あのミュージアム、本当に楽しかったです」

 小エビ入りのトマトソースパスタをフォークで巻きながら、私は言った。

「特に、あの書庫がすごかったよな」

「そうですよね! とっても綺麗で、壮観で……」

 ミュージアムを運営する文庫は、東洋文化や歴史についての本を多く蔵書している。なかでも、文庫の創設者がオーストラリア人東洋研究者から買い取り、それを書籍コレクションを展示している書庫が、このミュージアム最大の見ものだ。二万五千近い厚さも色も様々な蔵書が、古く落ち着いた木製の棚に納められているが、棚は二階の高さまであり、それが三方に広がっている。覆い被さるように取り囲む書架の光景は壮観で、まるで聖堂のステンドグラスのようであった。
 
 私は彼に諭されるまで、書庫内に置かれた椅子に座って眺め続けてしまった。


35: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:22:27.66 ID:WHh6WAPF0

「百合子はしばらくウットリして眺めてたもんな」

「本当は、あの本棚に置かれてる本を片っ端から開いてみたかったんですけどね。でも、触ったらダメって書いてたから残念です」

 私がわざとらしく肩を落とすと、彼は笑った。

「百合子らしいや。でも、あの棚の中にどんな本があるのだろうって想像するだけでも楽しいよなあ」

「確かに、たくさんの分野、色んな言語で書かれた本があの中にあるって思うと……」

「おーい、早く想像の世界から戻らないと、パスタが延びちゃうぞ?」

 別世界へ足を踏み入れようとしたすんでに彼から諌められた。

「え、えへへ、すみません。……って、プロデューサーさん、もう食べちゃってる!」

 彼の皿に盛られていた和風パスタは既に空になっていた。

 私が急いで食べようとすると、「ゆっくりで大丈夫、まだ時間もあるから」と彼は苦笑した。


36: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:23:38.20 ID:WHh6WAPF0

「そうだ、百合子。本屋に行った後はどこに行こうか」

 プロデューサーさんはデザートと一緒に出されたホットコーヒーを啜ってから、私に訊いた。

 お昼ご飯の後は大型の書店に向かい、本や栞、ブックカバーなどの雑貨を見たり買ったりしようと決めていた。その後の予定は、時間との兼ね合いもあるから、お出かけ当日に決めようということになった。

 色んな場所を考えていた。折角なら買った本を二人で一緒に読みたいから、カフェに行くのもアリだ。しかし、本を読むとなればお互いに黙って過ごすことになる。特に私はひとたび本の世界に入ってしまえば、何度も呼ばれない限り戻ってくることはない。確かに、一緒に本を読むというのも十分に甘美なアイデアだが、何も喋らないということでは、彼と一緒に過ごす意味が無いような気がした。図書館もお喋りできないし、古い蔵書の海を目の前にすると、これまた私の理性が持たないかもしれないので、今回はやめにしておこう。

 思案するうちに、ふと頭に浮かんだのは、本とはまるでかけ離れた場所だった。

「プロデューサーさん。私、海に行きたいです」


37: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:24:49.15 ID:WHh6WAPF0

 夏も盛りが近づきつつあるとはいえ、太陽は西に傾き始めていた。梅雨の合間の晴れ模様だ。

 都心の駅にある長い連絡通路の名高い路線に十五分ほど揺られると、臨海公園のある駅に到着した。園内の観覧車が目印だ。駅を出ると石畳の広い通路が公園を貫くように伸びている。しばらくまっすぐ進むと見えてくる、大きなガラス張りの建物をくぐり抜けると、太陽の光を受けキラキラと輝く海が眼前に広がった。

「わあ……!」

 私は思わず声を上げた。

「シアター前の海とはまた違うな」

「私、てっきりシアターの方に行くのかと思ってました」

「せっかくだし、別の場所から海を見てみたかったんだよ。それに、この公園は南西を向いてるから、今から行けば夕日も見れるかなと思ってさ」

「な、なるほど……」

 そういうことも考えていたのか。確かに、シアターが面している海は東側だ。


38: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:25:53.36 ID:WHh6WAPF0

「ところで、百合子。どうして急に海に行きたいなんて言ったんだ?」

「えっと、急に、先週のソロライブのことを思い出したんです」

「ライブ?」

「はい。ライブのテーマって風でしたよね? だから、風を感じられるところに行きたいな、と思って」

「だから、海に行きたいって言ったわけか」

 私は頷いた。

 もう一つ、折角のデートだからロマンチックな雰囲気も味わいたくなったというのも理由だった。こうした見晴らしのよい場所に男女二人が一緒に歩いて過ごす、何てことに憧れがあった。

 視界の両側には岸が延びているが、真正面に広がる海には一部水平線も見られる。大きなタンカーや貨物船は停泊しているのか、遠くだからそのように見えるのか、動いていないようであった。

 海沿いの石畳の道を歩く。ランニングをする人や、私たちのように海を見に来た人がまばらに行き交っている。カップルのような男女二人組が手を繋いで歩く。少し羨ましいと繋がれた手を眺め、私は彼の手を見た。

 大きな湾になっている東京の海はとても静かだ。波が岸に当たっても、ちゃぷんと気のない音を時折立てるだけだ。海の遠くからは汽笛が響き、公園内に茂る木々は風の音を揺らしている。


39: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:26:56.31 ID:WHh6WAPF0

「でも、ビックリしちゃいました」

「何が?」

「ほら、さっきの本屋さんの」私は紺色の本屋の袋からブックカバーを取り出した。

「本当だよな」プロデューサーさんは肩を揺らした。「まさか、同じブックカバーを買うなんて」

 青と白を基調としたタータンチェックの文庫本カバーだ。お互いにブックカバーをプレゼントすることになった。これは、プロデューサーさんからもらったものだ。偶然にも、私が選んだブックカバーも全く同じものだった。こんなことがあるものかと私たちは大いに笑ったが、折角だからと同じものを交換したのだった。

「私、このブックカバーでたくさん本を読みますっ。プロデューサーさんも、付けてくださいね?」

「ああ、もちろんだ。百合子から貰ったせっかくのプレゼントだしな」彼は笑って応えた。

 私たちは、さらに砂浜の辺りに行こうと橋を渡った。


40: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:27:35.11 ID:WHh6WAPF0

「風が涼しいな」プロデューサーさんがぽつりと言った。

「でも、からっとしていて気持ちいいです」

「うん。最近は雨ばっかりだったからなあ。もう、ムシムシしてて本当に嫌だったよ」

 彼が梅雨の湿気に心底うんざりしてる姿を見て、私はクスクスと笑った。

「私がライブの時にイメージしてた風って、これです。体の中を通り抜けていくような、清涼感のある風です」

「風のあるステージにしたいって言ったとき、そういう感じのことを言ってたな」プロデューサーさんは頷いた。「今回のステージで何か一番お気に入りだった?」

「一番のお気に入り......。やっぱり、衣装です」

 薄くて長い布を纏えば、ひらひらと舞うだろうし、風をより表現できるのではないかと彼が提案したのだった。


41: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:29:01.96 ID:WHh6WAPF0

「あれは、風の巫女って感じだったな」

「やっぱり、プロデューサーさんもそう思いますよね! そうなんです!」

私のイメージが彼とまさに合致していた。

「プロデューサーさんが私にあの衣装を見せてくれたとき、風の国の都にいる巫女を連想したんです! 普段は城下町でひっそりと過ごしているけれど、ひとたび神殿で踊れば風を呼び起こします! そうして巫女が起こした風を使って、風の戦士が近隣の帝国や国内で暗躍する闇の組織を撃退するんです! するとある日、巫女の力を知った闇の組織が彼女を連れ去って……」

風の国へとトリップしていると、ふと左頬にピリッとした痛みを覚えた。

「おーい、そろそろ戻って来いよー?」

「フロヒューヒャーひゃん、いひゃいれふ。ほっへ、ひっはららいれくらはい」

「発想は素晴らしいけど、妄想はほどほどにな?」

「うう、まだジンジンする……。もう、最近扱いがひどくないですか?」

 痛みの残る頬を膨らませると、彼は悪かった、と私の頬をさすった。

 出会った当初はもう少し優しかったのに、二年も経つと、プロデューサーさんも私に対して遠慮が無くなってきた。でも、嫌な気持ちはなく、むしろ嬉しかった。


42: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:29:40.37 ID:WHh6WAPF0

「本番は、本当に風が吹いてるようだったよ。見に来てた人も、みんな百合子が吹かせた風に魅了されてた」

 私は頬を掻いた。

「でも、私だけでは絶対に風を吹かせられませんでした」

「いいや」プロデューサーさんは首を横に振った。「俺はただ、百合子の追い求めてるステージを作る手助けをしただけだよ」

「その手助けがとても大きかったんです。私の理想を、怖いくらいに分かってくれた......。あの日のライブが終わって、私、思ったんです。もし生まれ変わっても、プロデューサーさんのプロデュースで、トップアイドルを目指したいって」

 アイドルでなければ、彼に出会わなければ、私は本の世界に閉じこもったままだっただろう。彼のおかげで、本だけでなく、現実の世界にも色とりどりの無限の世界を知ることができたのだ。映画の中で、物語の存在でしかなかったヒーローや魔法使いに変身できた。運動音痴でも頑張り次第でスポーツ大会で貢献できること、真冬の北の海はずっとうねり恐ろしいこと、そして、アイドルとして私自身が主人公になれること。この世界には無限の可能性を秘めていることを、彼が教えてくれたのだ。


43: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:30:17.47 ID:WHh6WAPF0

「ありがとう。そこまで言ってくれると、プロデューサー冥利に尽きるよ」

 プロデューサーさんは、帽子の上から私の頭を撫でた。

 浜辺の方へ行くと、遮るものが無いせいか、風はさらに強く、涼しすぎるほどに感じられるようになった。風を受けて、波がにわかに立ち始めた。風にひらめくワンピースの足元を私は抑えた。夕日はますます傾き、海は一層赤く染まる。船はシルエットとなり、細部は溶けて失われている。空は桃色に染まっている。右岸に見えるビル群も夕日に照らされ、宝石の原石が地表に飛び出ているようだ。

 浜辺にいるのは私とプロデューサーさんだけだった。夕映えに影をひく、この世に私たち二人だけがこの場所で佇んでいる心地がした。ずっとこの時を過ごせたらいいのに、私はそう願いながら夕日を眺めていた。

 心の底から私は願った。たとえどんなことがあっても、私のプロデューサーは彼なのだと。どんな時も大好きな彼と一緒にいたいと。その願いには、運命や前世の因縁も関係なかった。

 私は意を決した。


44: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:31:32.10 ID:WHh6WAPF0

「プロデューサーさん」

「百合子、どうした?」

 ワンピースの胸元を右手で軽く握る。彼の優しい表情を、私は見据えた。

「好きです。これからもずっと、私の隣にいてくれませんか?」

 風の音か聞こえるだけの時間が、しばらく流れた。私から目線を外し、しばらく彼は上の方を見遣った。その時間はどれほどだったのだろうか。一瞬のようにも、一日のようにも思えた。

 プロデューサーさんは私の名前を呼び、私の方を見た。彼は悲しげに笑っていた。

「ごめん」

 プロデューサーさんはかぶりを振った。

「百合子のその申し出は、俺は受け入れられない」


 まるで、時が止まったかのような心地だった。


45: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:32:24.03 ID:WHh6WAPF0

・・・・・・・・・・

 昨日の梅雨晴れが信じられないと思えるほど、明け方から雨が降っていた。

 あの夕方の涼しい風はどこへ行ったのやら、湿気を帯びたむさ苦しい空気が外を覆っている。なるほど、昨日彼がうんざりしていた理由がよく分かる。こんな日に事務所に向かおうと外に出れば、汗やら雨やらで、折角のお洒落も台無しになるだろう。

 でも、そんなことは、今の私にはどうにでもよいことだった。

 告白を彼に断られてから、そのあと彼とどんな話をしたのか、どうやって帰り着いたか、まったく覚えていない。嬉々とした表情で私を玄関で迎え入れたお母さんが、青ざめた私を見て表情を一変させると、私はようやく我に返り、それから堰を切ったように涙が溢れた。

 涙は一晩じゅう枕を濡らした。

 杏奈ちゃんや友人たちから、デートの顛末を尋ねるメールが届いていたが、私は返信せずに放ってしまった。


46: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:34:09.69 ID:WHh6WAPF0

 今日はレッスンもあるはずなのに、それも無断で休んでしまった。私情を挟むべきではないと理屈では分かっていたけど、心も表情もグシャグシャになってしまった私は、レッスンへ赴く気力もぽっかりと失われてしまった。

 昼間といえども、太陽も電灯もない部屋は真っ暗だ。屋根を雨が打ち付ける音だけが、部屋に充満する。

 どうして、彼は私の気持ちに応えてくれなかったのだろう。

 どうして、私はあのとき告白してしまったのだろう。

 どうして、私は彼のことを好きになってしまったのだろう。

 色んな「どうして」が頭に湧き出たが、私にはそのすべてが分からなかった。

 枕元に置かれたブックカバーを手に取った。本来ならば美しい青と白のチェック柄は、部屋の暗さのせいか曇って見えた。彼に貰ったとき、彼に同じものだと見せたとき、それからクスクスとお互いに笑いあったとき、本当に幸せだった。その幸せは私の告白によってすべて消え去った。

 だんだんと、青と白の模様が滲んで混ざり始める。

 私はブックカバーを胸元で握りしめ、再び枕に突っ伏した。


47: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:35:03.36 ID:WHh6WAPF0

 夕方、部屋は一層暗くなり始めた頃、スマートフォンに着信があった。

 杏奈ちゃんからだった。

「......もしもし」

「......百合子、さん...。大丈夫...、じゃないよね......」

 心配する杏奈ちゃんの声が受話器からも感じ取れた。

「ごめんね、杏奈ちゃん。それに、昨日もメール返さなくて」

「ううん。大丈夫、だよ......?」杏奈ちゃんはしばらく間を取った。「......話、聞いたよ。......プロデューサーさんから...」

 私が昨晩から返事せず、さらに今日も事務所へやって来ないことを心配した杏奈ちゃんが、彼に尋ねたのだろう。

「心配、かけちゃったよね。ごめんね」彼女への申し訳なさと自分の情けなさから、再び涙がこみ上げてきた。「どうして、こんなことになっちゃったんだろう、私っ......」

「百合子さん...、頑張ったよ......。本当に...頑張ったね...」

 私は声を上げて泣いた。私の涙に混ざった声はちゃんと杏奈ちゃんに伝わっていたのかどうかわからない。でも、杏奈ちゃんは私の一言一言に「うん、うん」と相槌を打って聞いてくれた。彼女の優しさに、私の心は少しばかり救われたような気がした。


48: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:37:22.57 ID:WHh6WAPF0

 ひとしきり話し、私の声に湿り気がなくなってきたとき、杏奈ちゃんが「そういえば」と切り出した。

「明日、百合子さんが事務所に来なかったら...、プロデューサーさん、昼過ぎに百合子さんの家に行くって.......、言ってた...」

「ほ、本当に?」唐突な知らせに、私の胸はドキリと鳴った。

「うん......。もう一度、ちゃんと話がしたいって...」

「話って一体?」

 私は大体察知していた。フラれて不貞腐れている私をどうにかするためなのだろう。

 杏奈ちゃんは押し黙っていた。

「杏奈ちゃん。私、会った方がいいのかな」

 杏奈ちゃんはしばらくしてから口を開いた。

「百合子さんは...、プロデューサーさんのこと、まだ......、好き...?」

「うん」

 答えるのに、ためらいはなかった。フラれているのに、傍から見れば実に愚かなのだろう。それでも、彼が好きだという気持ちだけは変わらなかった。

「それじゃあ...、会うべき、だよ...」

「どうして?」

「まだ、物語は終わってないよ......。百合子さん...」


49: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:38:40.65 ID:WHh6WAPF0

「でも、取り返しのつかない終わり方になってしまうかも」

「まだ、書き換えられるかもしれない」杏奈ちゃんの口調が、一層柔らかくなった。「こればかりは、会わないと......、分からないよ......?」

 しばらくやり取りをした後、杏奈ちゃんとの通話を閉じた。

 プロデューサーさんに会いたいかと聞かれたら、今すぐにでも会いたかった。でも、一番会いたくない人でもあった。

 杏奈ちゃんが言ったように、物語を書き換えられるかどうか会わなければ分からない。でも、決して結ばれることのない結末を迎えることを、私は恐れた。その結末を改めて思い知らされることが、私には怖くて、怖くてたまらなかった。


 翌日の昼、彼から逃げるように、私は自宅から飛び出した。


50: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:39:43.18 ID:WHh6WAPF0

 雨は止む気配を一切見せない。雨粒が石畳を跳ねる音、傘に落ちる音で私の身体は包み込まれている。この雨のせいか、誰も人が行き交っていない。雨は視界も曖昧にし、一昨日は美しく広がっていた海も、今日は淀んでいるように見える。船の姿も見られないが、霧笛が頻繁に周りの空気を響かせているから、沖には多くの船が行き交っているのだろう。

 ベンチはあるけど、この雨だと座りようがない。仕方なく立ち尽くして、私は雨で全く視界の無い海を眺めていた。

 私は、あの日彼と訪れた臨海公園にいた。自宅を夢中に飛び出すと、なぜかこの場所に足を運んでいた。何かがあるわけでもなかった。いや、何もあるはずがなかった。ゲームのように、セーブポイントがあるわけでもない。そんな便利なものがあれば、すぐに二日前の夕方に我が身を戻している。


51: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:41:30.36 ID:WHh6WAPF0

 ありふれた失恋で終わるくらいなら、私なりに書き換えたかった。しかし、書き換えられない場合を考えると怖かった。いっそ、結末を迎えないようにすればいい。だから私は逃げ出した。

 傘に落ちる雨音で、雨の勢いが一段と増していることに気付いた。地面に落ちる雨粒の飛沫が足元に冷たい感覚を伝える。傘だけではいよいよこの雨を防ぐことができないようで、肩口が湿り気を帯び始めていた。だが、濡れてしまうのなら、とことん濡れてしまえばいいと思った。

「いっそのこと、傘でも放り投げてずぶ濡れになろうか、なんて考えるなよ?」

 はっとした。聞き覚えのある声だった。

 いつもなら時めいてしまう声なのに、この時ばかりは聞きたくなかった。

 声の聞こえた方を振り向くと、私は息が止まるような心地がした。

「プロデューサー、さん」


52: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:42:21.98 ID:WHh6WAPF0

 プロデューサーさんは、安堵した表情で私に近づいて、タオルを差し出した。

「風邪引くぞ。ほら、これで拭きなさい」

「どうして、ここに?」まだ頭が混乱していた。ここにいる彼は、本当に彼なのか疑いたくなるほどだ。

「百合子の家に行ったら、お母さんからいなくなったって言われたんだよ。どこに行ったのか考えたら、ここじゃないかって」

 プロデューサーさんの足元はぐっしょりと濡れていた。スーツのジャケットも水気を含んで腕に張り付いている。おそらく、ここまで駆けてやって来たのだろう。

「こんな時でも、優しいんですね」

「え?」

「私が勝手に傷ついて、レッスンも無断で休んで、今日も勝手にいなくなって......。こんなの、私のワガママじゃないですか。それなのに、こうして私を見つけ出してくれて......。どうしてそんなに優しくするんですか!?」

 私の中の気持ちが、こぼれた。

「そんなことされたら、......そんなことされたら、まだ、好きでいたくなるじゃないですか」

 雨脚は強く、傘に、地面に、あらゆる場所を打ち付ける雨音が、けたたましく響いている。


53: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:43:41.90 ID:WHh6WAPF0

「ありがとう。そうやって想ってくれるのは、本当に嬉しいよ」プロデューサーさんの言葉は、雨の中でやけに通って聞こえた。「でも俺は、百合子のその気持ちを受け入れることは、出来ないんだ」

「それは、私たちが、アイドルとプロデューサーだからですか」

「それも理由の一つだよ」プロデューサーさんは頷いた。「百合子はトップアイドルの階段を上り始めてる。今からが大事な時期なんだ」

「それ以外の理由って、何ですか」

 彼は押し黙る。雨音がいやに耳に残る。

 間がとても長く感じられた。


54: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:44:41.74 ID:WHh6WAPF0

「百合子は俺と十も年が離れてるだろう?」

「年の差なんて、今のご時世、関係なくなってます」

「それに、百合子はまだ十七歳だ」

「それは、私がまだ子供って、言いたいんですか?」

 説教じみたプロデューサーさんの言葉に、私は食って掛かった。

「子供が大人の男性を好きになったら、ダメっていうんですか?」

「今からなんだ。今からもっとたくさんの人に出会う。そうしたらきっと、俺なんかよりもずっと良い人が見つかる」

「そんなこと、プロデューサーさんが勝手に決めつけないでください!」

「百合子」

プロデューサーさんは、優しく語りかけてくるように言った。


「百合子はきっと、恋に恋をしているんだ」

 プロデューサーさんの言葉は優しくて、そして、今までになく鋭利に感じた。


55: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:46:43.99 ID:WHh6WAPF0

「どういう意味ですか」

 私は声を震わせた。

「それって、私が、あなたのことを本気で好きになってるわけじゃないってことですか」

 プロデューサーさんは頷いた。

 私はプロデューサーさんが着るスーツの襟元を掴んだ。私の傘が、水気を含んだ地面に音を立てて転がる。

「そんなことない! 私はあなたが好き!」

 私の声は、雨に吸い込まれていく。掻き消され、周りにまったく響かない。

 プロデューサーさんは目を閉じ、首を横に振った。

「好きって気持ちが、自己完結してるんだ」


56: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:48:37.99 ID:WHh6WAPF0

 くしゃり、と私の心の片隅で何かが壊れる音がした。

「何ですか、それ」

 私は絞るように声を出した。

「私の気持ちは、独りよがりだっていうことですか」

「ああ」

 彼はゆっくり頷いた。

「そんなこと、そんなこと......」

 全身の力が抜けていく。襟元を掴む手も弱々しくなる。私は彼の胸元にしなだれた。

 本当は私も、すべて気付いていた。彼の言うように、私は恋に恋をしていたのだと。私の恋は、私のことだけで周りが全く見えていない、独りよがりなのだと。恋をしている自分に酔いしれているのだと。分かっていたけど、受け入れたくなかった。そして、ずっと想っていた彼から、その現実を突き付けられたことが、耐えられなかった。

 彼は私の頭を優しく撫でた。暖かくて、心地がよい。

 でも、遠い。身体はこんなにも近いのに、お互いの心はずっと離れている。


57: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:49:43.61 ID:WHh6WAPF0

「百合子。いつかきっと、恋に恋したその先に好きになる相手が見つかるはずだよ」

 優しい言葉だった。

「その人こそが、本当に百合子が好きな人なんだ」

 優しすぎる言葉だった。そして、あまりに残酷な言葉だった。

 涙が溢れてくる。あのときからずっと泣いているのに。
 
 肩を震わせてしゃくりあげる。彼は私の頭を慰めるように撫でた。その優しさが辛くて、まだ涙が溢れ出す。

 この恋のすべてが崩れていく音がする。もう、取り返しようがない。何もかもが終わる。結末は書き換えようがない。

 でも、これでよかったのだ。明日からは再びアイドルとして邁進する。明日からの日々を無我夢中に過ごせば、今回の恋は過去の思い出になって、だんだん溶けて消えていくだろう。そしていつか、恋に恋したその先を見つけることになるのだろう。


 物語を閉じよう。私の、恋に恋した、この物語を。


58: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:51:00.38 ID:WHh6WAPF0

・・・・・・・・・・

 翌朝、私は早く事務所に赴いた。そして、彼にここ数日の出来事を謝り、そして感謝した。彼もまた私に謝って、そして、「今日からまた頑張ろうな」と私を励ました。

 私は新たな話を書き始めた。

 その日から、私たちは何事もなかったように振る舞った。杏奈ちゃんからは心配そうに声をかけられた。「杏奈が物語の結末を終わらせるきっかけを作ってしまった」と彼女は涙ぐんでいたけれど、私は「大丈夫だよ」と笑って応えた。

 友人たちにも今回の顛末を話すと、それ以降、彼女たちから彼の話題を持ち出すことは無くなった。別にタブーというわけではなかったのだけど、彼女たちなりに配慮していることが何だか申し訳ない気もした。

 それから、私はレッスンや仕事に打ち込み、舞台や映画にも出演した。ライブでは自信にみなぎっていた。そばにはいつも彼がいた。彼をよき相棒として、私はトップアイドルの道を駆け登った。


59: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:52:18.60 ID:WHh6WAPF0

 アイドル活動と並行して、小説の評論を執筆するようになった。評論といえば聞こえはよいが、要するに本の感想だ。私の本に対する情熱を聞きつけたある文芸雑誌から、オファーがあったのだ。どうやら、彼が以前から出版社に推していたようだ。私の評論は評判も上々のようで、その後いくつかの雑誌で執筆するようになった。

 毎日、私は立ち止まることも知らない、順風満帆だった。

 彼との付き合いも、あの日からギクシャクするということもなく、依然とあまり変わらなかった。ライブの打ち合わせをしたり、レッスンや仕事に付いてきてもらっては、その行き帰りで他愛もない話をした。本を貸し借りする習慣も続いた。

 一つ増えたことといえば、私は二十歳を過ぎ、彼と一緒にお酒を飲むようになったことだ。近くの居酒屋で飲むこともあったし、彼がお洒落なバーに連れて行ってくれて飲んだこともあった。

 変わったとすれば、あのとき以来、彼に対する尊敬の念がさらに高まったことであった。

 しかし、高まるのは、尊敬の念だけではなかった。


60: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:53:12.56 ID:WHh6WAPF0

 忘れたくても、忘れられるはずがなかった。忘れようと努めるほど、忘れられなかった。

 彼が言うように、たくさんの人に出会った。いつも優しく振る舞って、いい人だな、と時めく人もいた。明らかに私に対して好意を抱いている――下心を持っていた方々も一部いたが――人も中にはいた。

 しかし、この人だ、と悟る人はいなかった。私が本当に恋をしてしまうような人は現れなかった。

 むしろ私の頭をよぎるのは、彼の姿だった。

 私は頭を振って、彼は違うのだと自分自身に言い聞かせたが、振り払うことはできなかった。会うときには悟られまいと努め、別れては夜に一人部屋で悶えることもあった。

 そうして気付いた。私は彼のことが好きなのだと。

 誰でもよいわけでもなく、彼なのだと。


 恋に恋したその先に、私が好きになってしまったのは、プロデューサーさんだった。


 ねえ、プロデューサーさん、教えてください。


 恋に恋したその先に、あなたのことが好きだと気付いた私は、一体どうすればよいのでしょう。



 答えは見つからないまま、私は二十五になった。


61: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:54:04.25 ID:WHh6WAPF0

**********



「......ちゃん。百合子ちゃん」

 肩のあたりを揺らされている感じを覚え、ぼんやりと視界が開けてきた。

 顔をあげると、黒のベストと蝶ネクタイをした、渋いおじ様が苦笑して私を見ていた。

「ああ、やっと起きた。」行きつけにしているバーのマスターだった。

「あれ? ここは......。あ、そうだ」

 思い出した。結婚式が終わって、学生時代の友人とこのバーに来たのだ。

「はい、お水。百合子ちゃん、えらく荒れてたけど、大丈夫?」

 水をぐいと飲み干すと、酔いの心地悪さが多少薄まる心地がした。

「えっ。ほ、本当ですか」

 マスターは頷く。

「初めてここに来て、酔いつぶれたときに近かったかな。今日はあのときよりも泣き上戸だったけど」

「そこまで......。うう、すみません」

 私はカウンター・テーブルに肘をつき、頭を抱えた。

「って、あれっ? みんなは?」

 横に座っていたはずのエリちゃんとイブキちゃんがいないことに、私は気付いた。


62: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:54:56.32 ID:WHh6WAPF0

「俺が帰っていいって言って、帰したよ」

 ぎくりとした。

 背後から、聞き覚えのある声がした。おそるおそる振り返ると、憮然としているようで、笑いを堪えている表情をした、プロデューサーさんが後ろのテーブルで座っていた。

 私は飛び上がるように、彼の方に体を向けた。

 みるみるうちに、私の酔いは醒めてきた。

「ど、どうしてここにいるんですか!?」

 この店はプロデューサーさんもよく知っている。というのも、もともと彼が懇意にしていたこのお店を、私に紹介してくれたからだ。

「どうしたもこうしたも、百合子が呼んだんじゃないのか」

「へっ?」

「やっぱり、覚えてなかったんだな」

 プロデューサーさんはため息をついた。

「百合子ちゃん、ここで飲んでたら、突然彼のこと呼び出したんだよ。お友達もなだめてたけど、百合子ちゃん全然聞かなくて」

「ああ、なんてこと......」

 ごめん、イブキちゃん、エリちゃん。あとで彼女たちに謝罪のメールを送らなければ。


63: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:55:43.47 ID:WHh6WAPF0

「家にいたら突然電話が鳴ってビックリしたよ。それでいざ出たら、百合子の友人だって人が代わりに話すし。......電話の奥の方で、聞き覚えのある声がわんわん言ってたけど」

 私は頭をテーブルに突っ伏した。

 最悪だ。醜態を晒してばっかりじゃないか。

「プロデューサーさんは、一体いつから?」

「そうだな」

 プロデューサーさんは文庫本を手にしていた。

「百合子を引き取りに来たのは二十分前くらいかな。でも、ここに来た手前、俺も一杯飲みたくなったから、ちょっと飲んでたんだよ」

 それから文庫本を閉じ、テーブルの上に置いた。

 その本には使い込まれた、白と青のブックカバーが付けられている。

 私が何年も愛用しているブックカバーと、同じデザインのものだ。


64: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:56:57.85 ID:WHh6WAPF0

「一体、何をどんだけ飲んだんだ?」

「そ、それは......」

 私は傍に置かれたロックグラスを見た。グラスの周りは汗をかき、中の氷は解けてしまっている。

「まさか『サントリイウイスキイ』とか言うんじゃないだろうな。最近、太宰ばっか読んでるからって、そんなところまで感化されるんじゃない」

「はうっ、ばれてるっ!」

 バーカウンターの上で、私は春の枯葉のように萎れる。

 どうしてこうも私のことを見透かすのか。恐ろしくて仕方がない。

「まったく、酒に飲まれないよう気を付けろっていつも言ってただろ。百合子はそんなに強くないんだから」

 プロデューサーさんは私の両頬を指でつねった。

「いふぁい、いふぁい! ごめんなさいっ!」

 すぐにプロデューサーさんは指を離したが、頬にはズキズキとした痛みが残る。

「うう、そんな風に女性の扱いが悪いから、プロデューサーさん、結婚できないんですよぅ」

「もう一回やろうか?」

「う、ウソです! ごめんなさい!」

 プロデューサーさんもそろそろ身を固めてもよい年なのに、誰とも付き合っているようではなかった。その一方で、事務所のアイドル数人が彼に告白をしたが、みな断られたという話は小耳に挟んでいた。私もその一人ではあるけれど。

 いっそのこと、プロデューサーさんが誰かとくっついてくれた方が、私も彼のことを諦められるのに。どういうわけか、彼は一人身のままだった。


65: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:57:55.35 ID:WHh6WAPF0

 私とプロデューサーさんは、バーを後にした。

 店を出る前、私はマスターに何度も謝ったが、マスターは「大丈夫だから。また来たい時においでよ」と笑って見送ってくれた。

 夜も更けており、通りを行き交う人も少ない。梅雨晴れの夜はやけに涼しく、さっきまでの酔いがまったく醒めてしまう心地がした。

「百合子、ちゃんと歩けるか?」

「大丈夫です。しばらく寝てたから大分いいです。それにプロデューサーさんが来てたのにビックリしたおかげで、ほとんど酔いも醒めちゃいました」

 ほっぺも痛かったんですよと私が不機嫌に言うと、彼は申し訳なさそうに笑った。


66: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:58:51.84 ID:WHh6WAPF0

 私たち二人はゆっくりと通りを歩く。歩きながらプロデューサーさんは私に尋ねた。

「まったく......。今日、友達の結婚式だったんだろ? どうしてそんなに荒れたんだ」

「結婚式はとてもよかったですよ。友達も幸せそうで、本当に嬉しかったです」

「それじゃあ、一体どうして」

 私は言葉に詰まった。私が今晩荒れた理由を話してしまえば、あの日の出来事について触れなければならない。そして、触れてしまえば、今もプロデューサーさんのことを想っていることを伝えたくなってしまう。

 伝えていいものか、伝えるべきでないのか。これまで私には分からなかったし、何しろ伝えるのが怖くて、あのときからずっと伝えることができなかった。

 でも、伝えなければ、何も変わらないのだ。

 私の心の中で、ぱん、と弾ける音がした。


67: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 12:59:22.69 ID:WHh6WAPF0

「それから、ふとしたキッカケで、昔のことを思い出したんです」

「昔のこと?」

「はい。アイドルになって、あなたと出会って、それから、あなたのことを好きになった日々です」

 私が歩みを止めると、彼も立ち止まり、私の方を見た。

「あの日のこと、覚えてますか? 雨の中、臨海公園で話したこと」

 しばらく間をおいて、プロデューサーさんは頷いた。

「ああ、覚えてるよ」

「いつか、私が本当に好きになる人が見つかる、ってことも?」

「もちろん」

 プロデューサーさんはすぐに頷く。

「私、ずっと探してました。私が好きな人はこの人だ、っていう人を。でも、見つかりませんでした。その代わりに、私が本当に恋をしてしまうような人を考えるたびに、あなたの姿が浮かんだんです」

 プロデューサーさんは黙ったままだ。

「どうしてだろうって、私、ずっと考えてたんです。でも、どんなに考えても答えは一つしか浮かびませんでした」


68: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:00:13.57 ID:WHh6WAPF0

 もう一度伝えたくて、伝えたくて仕方なかったことを、私はとうとう切り出した。


「恋に恋したその先に、プロデューサーさん、私はあなたのことが好きだと気付きました」


 プロデューサーさんをじっと見据えて、言った。


「私、プロデューサーさんのことが好きです。誰でもなく、あなたのことが、本当に好きです」


69: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:00:53.66 ID:WHh6WAPF0

「それは、百合子がずっと考えて出した答えなんだな」


「はい」


 あたりがしんと静まり返る。まるで時が止まったかのようだ。


70: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:01:27.31 ID:WHh6WAPF0

「百合子」
 

 固まった世界を打ち壊すように、プロデューサーさんは口を開いた。


「伝えたいことがあるんだ」


 いつになく、彼の表情は固かった。



「好きだ。ずっと、俺のそばにいてくれないか」


72: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:03:10.42 ID:WHh6WAPF0

 私は頭が真っ白になった。


 まさか、プロデューサーさんが言ってくれるとは思ってなくて。

 けれども、ずっとずっと、聞きたかった言葉だった。


 私は嬉しくて、胸がいっぱいで頷くことしかできなかった。

 私は何度も、何度も頷いた。


 私はプロデューサーさんの胸元に飛び込んだ。

 彼は優しく受け止め、そして力強く抱き締めてくれた。
 

 緊張がぷっつりと切れた私は涙が溢れだす。

 彼の身体が暖かく、心地よくて、私はなおさら涙を抑えられなかった。


 私が落ち着くまでの間、彼はずっと私の体を包んでくれた。


73: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:03:53.32 ID:WHh6WAPF0

 しばらくして、彼にどうして私の気持ちを受け入れてくれたのか訊いた。

 答えるのをためらっているのか、彼はしばらく頭を掻いていたが、やがて彼は観念したように言った。

「ずっと好きだったんだ。初めて顔を合わせたときから、一目惚れで」

「へえっ!?」

 私は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「で、でも、それならどうして、あの時私の告白を断ったんですか?」

「好きだったからこそ、恋に恋してた百合子の気持ちに応える勇気が俺にはなかったんだ。恋に恋してる状況から百合子が抜けだしたとき、百合子は幻滅するんじゃないかって」それから彼は、頬を掻いた。「それに......、大の大人が女子高生に手を出すって、まずい気がして」

「プロデューサーさん、もしかして、後の方が理由じゃないですよね」

 私がじとりと見据えると、彼はわざとらしく目を泳がせた。


74: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:04:58.91 ID:WHh6WAPF0

「あの日に百合子の告白も断ったし、諦めようと思ったよ。でも、忘れようと思っても、忘れられなかったんだ」

「ずっと好きでいてくれたのなら、どこかでプロデューサーさんが告白してくれてもよかったじゃないですか」

「あのとき俺の方がフってるのに、それはできなかったよ。いや、そんなことをする権利も、俺にはないって思って」

「プロデューサーさんって、思ってたより不器用な人なんですね」

 プロデューサーさんは頭を掻いた。

「いずれにせよ、俺のわがままだったんだ。そのせいで百合子にずっと辛い思いをさせてしまってたんだな」

「そうですよ。プロデューサーさんのバカ」

 このヘタレめ。

 私もまた、わざとらしく、頬を膨らませた。

「本当に、ごめん」

 プロデューサーさんは私の頭を撫でた。そうすると私が許してくれると思ってるのだろう。

 まさにその通りなのだが。


75: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:05:40.42 ID:WHh6WAPF0

「思えば、色んな人も巻き込んじゃいましたね。私のお友達二人もそうですけど、あとは杏奈ちゃんも」

「ああ。特に杏奈に謝らないと」

「どうしてですか?」

「俺が百合子の告白を断った次の日、杏奈からめちゃくちゃ怒られてさ」

「えっ、そうだったんですか?」

「うん。普段物静かな人ほど怒らせちゃいけないって、あのとき本当に痛感したよ」

 プロデューサーさんは遠い目をしていた。とても興味があったけど、訊かない方がよい気がした。


76: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:06:17.01 ID:WHh6WAPF0

 私は、もう一つ、彼に訊いてみたかったことを尋ねた。

「プロデューサーさん。ひとつ、訊いてもいいですか?」

「何?」

「私のどこに、一目ぼれしたんですか?」

 プロデューサーさんは大きくむせこんだ。

「言わなきゃダメ?」

「お願いします」私は意地悪な笑みで応えた。

「そうだな......」

 プロデューサーさんは腕を組んで上の方を見遣った。

「そんな、考えないと出て来ないんですか?」

「いや、ありすぎてどうしようか悩んでる」

「えっ」


77: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:07:56.51 ID:WHh6WAPF0

「まず、めちゃくちゃ可愛いと思った。本当に。一目見たときに」

「ふぇっ」

「本の話すると目キラキラさせるの本当に愛らしかったし、時々どこかにトリップするけどそれも可愛い」

「あの、ちょっ、えっと」

「ライブしてる時の表情とか本当に生き生きしてるし、観るたびに俺も魅了されてた」

 なにこれ、いじめですか。

「あとはそう、大人になったら綺麗になったよ。今日の格好も本当に綺麗だし、ぶっちゃけドキドキしてる」

「ぬぇえっ!?」

 彼に言われた途端、今の格好が何だかとても恥ずかしく思った。

「出るところ、出るようになったし。もとから数字よりは出てる節はあったけど」

「......えっち」

 私は急いで胸元を隠した。

「今の反応、めちゃくちゃ可愛い」

 あーもうなんなの、この人!!


78: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:08:24.44 ID:WHh6WAPF0

 こんなに恥ずかしい思いをするなら訊かなければよかった。その気持ちを誤魔化すために、私はプロデューサーさんの胸をポカポカと何度も叩いた。

 彼は再び私を抱き締めた。彼の身体の温もりと鼓動が伝わってくる。

「そうやって抱き締めたら、私が許してくれると思ってるんですか?」

「許してくれないのか?」

 私も彼の背中に手を回した。

「そうですね......。私がいいって言うまで、ずっと抱き締めてください」

 プロデューサーさんは、私を一層強く抱き締めた。その強さがとても心地よい。

「お安い御用さ。ずっと離さないからな」


79: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:09:23.74 ID:WHh6WAPF0

「私も、あなたの隣から絶対に離れません。だって、やっとこうして本当に大好きな人と結ばれましたから」

 私たちはちょっと照れくさそうに笑いあった。それから、お互いの目線が一つになった。

 お互いの顔を近づけ、寄せて、そして、重ねた。

 暖かくて、甘くて、鼓動も幸福もすべて、彼と一つに重なった心地がした。

 たくさん泣いて、たくさん笑って、そうして結末は書き換えられた。

 書き換えられた結末は、これ以上ないくらい幸せに満たされていた。でも、幸せな結末で物語が閉じられるのは何だか勿体ないような気もした。

 そうだ、今から物語が始まるのだ。

 この幸せな結末から、物語を始めよう。
 
 一つに重なって、どれくらい経っているのか分からない。でも、そんなことはどうだってよかった。
 
 今はただ、ずっとこの時を過ごせますように。私たちは心の底から願った。


80: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:09:53.67 ID:WHh6WAPF0

おわり


81: ◆kBqQfBrAQE 2019/06/30(日) 13:10:46.27 ID:WHh6WAPF0

タイトルは小田和正の「恋は大騒ぎ」(1990年)から。

百合子の青春にとことん付き合いたい人生でした。
あと、25歳の百合子ってなんだかえっちな気がしませんか。





『ミリオンライブ!』カテゴリの最新記事

おすすめ記事

コメントの投稿